「AI vs. 教科書が読めない子供たち」 新井紀子 著(東洋経済新報社)
今回から自ら考えることの大切さとその難しさについて、この本を読み進めていきたいと思います。
「AI」から連想するイメージ
「AI」という言葉、聞かないことはほとんどない位、私たちの生活の中に浸透してきました。私は漠然とですが、次のようなイメージを持っていました。
1.人間にとって、面倒であり複雑なことを代わりにやってくれる
2.人間の仕事を将来(近い将来を含む)、AIが行うようになる
皆さんも、様々な情報等から同じようなイメージを持たれているかもしれません。
実際、このイメージには大きな間違いはないようですが、著者は実際に技術開発に携わってきた立場から、定義を明確にしています。
ここからは、私が漠然と持っている2点のイメージに対し、本書を読みながら具体的に書いてみます。
イメージ1:人間にとって、面倒であり複雑なことを代わりにやってくれる
・AIとは、一般的な和訳は人工知能で、知能を持ったコンピューター。
・人工知能と言うからには、人間の一般的な知能とまったく同じとまでは言わなくても、それと同等レベルの能力のある知能でなければなりません。
・AI技術とは、AIを実現するために開発されているさまざまな技術
・AIはAI技術の先にあるゴール
引用:「AI vs. 教科書が読めない子供たち」より
本書によれば、
厳密に言えば、AIとAI技術は似て非なるものであり、AI技術はAIの一部にすぎず、私たちの日常生活の中では、厳密に区別する意味はないとのことで、一般的には、「AI」で呼ばれているようです。
実は、この記事を書いている少し前に、仕事の中でAIが現実に身の回りで使われていることを実感する出来事がありました。
従来、オペレータが担っていた問合せ窓口を今後、AIが直接電話での受付を行うとの連絡がありました。
説明文の概要は、以下の通りです。
・最初に電話での問い合わせは、AIが受け付ける
・AIとの受け答えには、決まり事がある。
(補足)決まり事とは、簡単に受け答えのパターン、話す速度、声の大小など
・ただし、AIが受付できない場合、人間が対応する。
説明文にも、「AI」という言葉が使われ、私も何気なくスルーしていましたが、著者の言葉を借りれば、AIが電話受付をすることは、「AI技術」に当たります。この本を読み始める前は、上で書いたイメージがなかった私ですが、身の回りで起こっていることが他人事ではないことを改めて認識する機会になりました。
この出来事については、本書でも書かれています。
(第1章 ワトソンの活躍_コールセンターに導入)
そもそもAI(主にAI技術)は、大雑把に言ってしまえば、人間のような感情を持つものではなく、人間が数学を駆使してAIという機械の中に、人間が要求するあるいは必要とする結果を導き出せるようにするための手段、と言うことができます。
イメージ2:人間の仕事を将来(近い将来を含む)、AIが行うようになる
先程、身近に起こった事例として、電話のオペレータについて書きました。普段、当たり前のように仕事をして、お金(会社員の場合、給料)を頂いてきたことが、いつの時期か(近い将来)、AIが代わりに仕事をして、これまでしてきた仕事がなくなると、一度は聞かれたことがあると思います。過去の歴史においても、技術の進歩によって、人間が生業としてきた仕事がなくなったことは、何度もありました。産業革命は顕著な例でしょう。
現代では、AIがこれに該当すると言えます。
会社勤めの立場から言うと、決して他人事ではありません。近い将来やってくる現実に不安を感じることもあります。では、なぜそこまでして仕事を人間からAIにシフトさせる必要があるでしょうか。それはこの言葉が全てを言い表していると考えています。
資本主義の社会では経営者は企業の利益を上げることを最優先しなければならない
引用:「AI vs. 教科書が読めない子供たち」より
そうです。会社は「利益」を出さないと、将来への存続が厳しくなるリスクがあります。そのリスクは雇われている人たちの生活への不安につながってきます。では、「利益」出すためには何をする必要があるか。単純に考えれば、人数を減らして同じ量の仕事ができれば、その分支出が減り、「利益」がこれまでより多く見込めます。AIの導入は、機械の導入等により初期投資が必要になるかもしれませんが、長い目で見ればAIを管理する人間が
少数いれば、トータル的には人数が減ることになるので、「利益」をこれまでより多く確保することが出来るようになります。
では、AIを管理する人間になるには、どうすれば良いのでしょうか。
次回以降、本書を読み進めながら、書いていきたいと思います。